福は内!鬼は外!節分を楽しむために節分について学ぼう

福は内!鬼は外!

恒例の豆まき、節分はどうして行われるようになったの?

節分に鬼は外、福は内と豆をまき、保育園などでは鬼さんが園にやってきて、園児たちが泣きながら豆をぶつける様子などがニュースでも伝えられます。
節分はお子さんたちにとってお菓子をたくさんもらえる、ひろえる特別な日という感覚しかないのでは?と思うこともありますが、古くから行われてきた日本の行事です。

節分という行事は、鬼などの厄災をもたらす厄神を追い払う、また福を招くという意味を持って行う行事となります。
通常、2月3日、もしくは4日、立春の頃に行う行事です。
鬼は外といって外に向けて豆をまき、福は内といって家の中に豆絵を巻きます。
自分の年の数、また年齢から一つ引いた数の豆を食べることで厄災から逃れ、病気をしない体になるといわれているのです。

節分に厄払いをする地域が多い理由

節分で追い払うのは鬼、というよりも、鬼は厄災をあらわす標的となっていて、災害、疫病から人々、地域を守るという意味を持っています。
節分の年、厄年にあたる人が厄払いを行うという風習がある地域も多数みられるのです。

室町時代には、夜年の数だけ銭を包み落としておき、乞食さんがそれをひろうことで厄払いになるという風習もあり、地域によって様々な風習があります。
江戸時代になると夜に厄払いましょうと言って各家を周る物もらいの乞食さんも多かったようです。

また地域によっては厄年の人に豆、銭を与えて祝いをすると最後に鶏の鳴き声をまねて厄払いをしていたという風習もあります。
鶏は朝を知らせる鳥なので魑魅魍魎がいなくなると考えての風習ではないかといわれている地域もあるようです。

2月1日に厄払いする風習もある

豆節分は豆をまくのですが、神社によっては福は内しか行わないというところもあります。
また、地域によっては2月1日に厄払いとして節分以外にも厄払いを行うという所があるようです。

2月1日は年重ね、年直氏などと呼ばれて、厄年の人がいるご家庭では2月1日もう一度門松を置いたり、お雑煮を食べるなどして再度「お正月」を祝います。
こうして「1つ措置を重ねて厄を過ぎたよ」とあらわしていたようです。

願い事は何にしよう?七夕の由来や七夕飾りの方法

七夕

七夕の由来知っていますか?

幼いころから七夕になると笹の葉に願い事を書いた短冊や七夕飾りをつけてお祝いするという事を保育園の行事、小学校の行事として行っていたという人が多いと思います。
星に願いを込めて祈るロマンチックな七夕ですが、由来をご存知の方は案外少ないようです。

七夕は願い事を短冊に書いて笹につけてお願いする日という認識の方も多いのですが、実は、子供の成長を願う節句の祝いの一つされています。
端午の節句や桃の節句は、お子さんの成長を祝いますが、それと同じように七夕も、お子さんの健やかな成長を祝うという行事です。

現代は将来何になりたい、これがほしいなどのお願いごとが短冊に書かれていることが多いのですが、昔は習い事が上達するように等の願いを書くものだったといいます。
それが今の七夕につながっているのです。

現在は7月7日、つまり新暦に七夕祭りなどを行いますが、昔は旧暦、8月に行う行事で、秋の行事といわれていた行事になります。
現在でも仙台の有名な七夕まつりは8月7日に行われており、国内、国外からも大勢の観光客が訪れる大きなお祀りとなっているのです。

七夕飾りでわかる由来や意味

七夕には七夕飾りを飾りますが、この飾りにも意味があります。
紙衣は女の子の裁縫の腕が上達しますようにという願いが込められ、巾着はお金が貯まりますようにという願いが込められているのです。

投網は豊漁祈願、屑籠は整理整頓ができる子になるように、またモノを粗末にしないようにという願いが込められ、吹き流しは織姫のように織物が上手くなるようにという願いが込められています。
千羽鶴はご家族みんなが長生きするようにという願い、そして短冊は字が上手になりますように、習い事が上達しますようにという願いがこめられているものです。

短冊に願いごとを書くときに正しい書き方とは

短冊短冊に願いごとを書くのは、書道、学業などが上達するようにという願いが込められています。
短冊に願い事を書くときには、通常、子供の成長を願うとされているのですが、近年、自分の願い事を書くことが多くなっているようです。

どのような願い事を書いても、現代では特にダメということもありませんが、自分を成長させる願い事を書くことが作法になります。
また願い事を書くときには、こうなる、こうなりたいという思いを強く書くことが望まれるのです。

笹の葉を利用する意味

七夕の願いごとを短冊に書いて笹に結ぶという風習は日本独自の物であり、江戸時代になって庶民に広がったとされています。
笹は神聖なものとされ、天に思いを届けるものとされてきたのです。
天に向かってすくすくと真っ直ぐに伸びていくさまを見て、先人たちはこの笹のようにまっすぐに子供が成長してほしいと願い、笹の葉に願い事をつけて託したといいます。

笹の葉は、天により近いところで風に揺られ葉音を出し、天上にいるご先祖様の霊を呼ぶことができるといわれており、昔からこうしてご先祖様にお子さんを見守ってくれるようにお願いしてきたのだそうです。
願い事を書き笹に結ぶことで天上のご先祖様に願いをかなえてもらえると信じられていたといいます。

七夕の笹を飾る時期、処分の仕方

七夕の飾りつけは7月6日の夕方スタートし、7月7日の朝から夜にかけて終了です。
商店街などでは長い期間飾りつけされていますが、通常、作法に沿って行うとこのような日程となります。

笹飾りは昔川に流し成就祈願したものですが、現在、環境の面も考慮し行われていないようです。
都市部では特に可燃ゴミに出す以外方法がないので、次第に、この七夕飾りの笹を使う理由や願いごと成就に川に流すなどの意味も、忘れられているのかもしれないといわれています。

出来れば神社などにお願いしお炊き上げしてもらうなど考える方がいいと思いますし、この時、七夕の由来や笹のこと、どんな願いが込められているのかをお子さんに説明できるはずです。
こうした由来なども、伝えていきたい事の一つだと思います。

ちなみに、七夕の時にはおそうめんを頂くという風習がありますが、これは7月7日、中国で亡くなった帝の子供が鬼となり暴れ、生前好きだった索餅「さくべい」を供えたことでたたりが無くなったことに由来しているのです。
さくべいがさくめん、そうめんと変化し、日本ではそうめんを頂くようになったといわれています。

端午の節句って?由来や祝い方を学ぼう!

こいのぼり

端午の節句とはどういう意味があるの?

端午の節句というのはもともと、季節の節目に神様に向けてお花などを供えることで、これによって家族の邪気を払うとした儀式です。
それが、現代、5節句として残り、1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕、9月9日の重陽として残されています。
このお節句だけが年中行事として残され、特に5月5日の端午の節句は、男の子の成長を願うお節句として大きく御祝いする儀式として現代に残っているのです。
端午のお節句の祝いの意味、理由などを理解すると、よりお節句を尊ぶことができると思います。

端午の節句の由来とは

5月について古代中国では物忌みの月と呼ばれ、忌み嫌われ、お祓いが行われていたといわれているのです。
端午というのは、5月の初めの午の日をあらわしていますが、午と「五」の音が同じということもあり、端午の節句とされたと言い伝えられています。
中国から伝わったこの風習が端午の節句、厄払いの日として定着したのが由来です。

日本に伝わったのは奈良時代、その後、鎌倉時代に入り武家社会になり、厄除けに加わったのが菖蒲となります。
これも、勝負・尚武と菖蒲が同じ音を持つことで、武家の中で尚武の節句として祝いを行ったとされているのです。
その後、江戸時代になり端午の節句は男の子が生まれ無事に成長できるようにという願いを込めた儀式となり、庶民に広がり今に至るといいます。

端午の節句、用意する食べ物

関東地方では端午の節句に柏餅、関西地方ではちまきを食べる風習があるのです。
柏餅に利用する柏の葉っぱは、新芽が出るまで葉が落ちないということから、子孫繁栄の意味を持ち端午の節句にふさわしい食べ物として利用されるようなったとされています。

ちまきは笹の葉でもち米を包み蒸した食べ物です。
昔は「ちがや」の葉をまいて造っていたとされています。
茅「ちがや」は、中国の故事によると繁殖力が非常に強く神霊が宿るとされており、古くから邪気を払う植物として利用されてきたようです。
そのため、端午の節句では茅を利用したちまきを食べる風習があったといわれています。

このほかに御祝いとして食べることが多いのが、出世魚のぶり、勝男とかけて鰹、真っ直ぐに伸びる、成長するという事でタケノコをチア抱くということも多いです。
地域によって違いがありますが、お赤飯等も用意されますし、5月に旬を迎える食べ物を利用する事が多いといわれています。

菖蒲湯に入る、飾り物を飾る

端午の節句端午の節句ではうち飾りに武者人形や鎧兜、外飾りにこいのぼりを飾るのが一般的です。
昔は母方の祖父母が贈るものとされていましたが、現在は両家でそれぞれを用意するなど、こだわりがなくなっています。
鎧兜や武者人形などはかなり場所をとるので、スペースを意識したものを用意してもらう方が安心です。

飾りつけは通常4月に入り行い、前日、当日はお正月のお飾り同様、一夜飾りと呼ばれ縁起が悪いといわれています。
片付ける時期は決まりがないのですが、一般的に梅雨入り前、5月の中旬くらいまでに片付ける方がいいようです。

菖蒲湯は菖蒲の根、葉などを入れたお風呂のことですが、端午の節句の厄払いとして昔から菖蒲の入った湯に入るという風習が残っています。
菖蒲、勝負、尚武にあやかり武士が出陣の前に菖蒲湯に使ったということもいわれていますので、こうしたこともあり、男の子が菖蒲に勝つという意味を込めて行うものです。
お子さんと一緒に菖蒲湯に入り、由来を伝えていくのも大切な親の務めといえます。

ひな祭りの由来や祝い方を学ぼう!

ひな祭り

ひな祭りとはどういう風に始まったのか

3月3日といえば女の子のお節句、ひな人形を飾り雛あられを頂き、女の子は着物を着たり、ハマグリのお吸い物を頂くなど、特別な日となります。
元々、ひな祭りというのは紙人形を作り、その紙人形を海や川に流すという風習がったのです。
紙人形を身代りに厄災を流し身の汚れをはらうという意味を持っていた風習で、今のようにひな人形を飾りお祝いをするようになったのは戦後といっていいと思います。

お雛様を飾るのもちらしずしやハマグリのお吸い物を頂くのも、どうしてなんだろう?と疑問に思うこともなく頂いてきた人も多いはずです。
でもこの頂くものについても意味があります。

ひな祭りのお祝い、その歴史とは

節句というのは年の中にいくつもあり、そのうち江戸時代に定められたのが五節句です。
このうち、上巳の節句と呼ばれる3月、最初の巳の日が3月3日となります。
中国の上巳の祓としていたものが伝わり、日本で古くから行われてきた厄災を人形に写し水に流すという風習が一つになったと伝えられている行事です。

今も地域によって流しびな、ひなおくり等の行事が行われています。
紙、粘土などで作った人形に生年月日を書いて川に流していた厄災払いが流しひな、ひなおくりという行事になって残ったと言われているのです。

ひな人形を自宅の中に飾るようになったのは江戸時代で、元々は四方を縫い縮めて袋状にした布に綿、紙をつめて膨らませ顔を書いた粗末なものたったといわれています。
現在のようにひな壇などに飾るのではなく、幼児の枕元に病気などせず成長するようにと置かれていたものだったのです。

祝い膳は山遊び、川遊びがもとになったといわれています。
遊びと名のつくものですが、これは神事として行われてきたもので、3月3日、野山で食事をする、海で1日遊ぶなどの風習が各地に存在していたのです。
農耕で生業を立てていた人たちは、村中で食べ物などを持ち寄り、季節の花咲く中宴会を開いたといわれています。
3月の野山の神事はもちろん桃の花をみながらの宴会、この山遊び、磯遊び、海遊びという古くからの神事もひな祭りに残っている風習といえるのです。

ひな祭りには地域性がある

ボンボリひな祭りには地域性があり、北海道・東北・関東地方では浜遊びがもとになったといわれています。
北海道などの寒い地域は3月のお節句の時期、まだ雪が残っている事が多く、山遊び、磯遊びをするような季節ではないのです。
そのため、3月3日(旧暦)は子供が浜辺でカニ、貝を取に焚きをする浜遊びを行ったとされています。

北陸・甲信・東海・近畿あたりでもひな祭りのツールが違うようです。
新潟では山遊びを山遊山として行っており、山梨では重箱を持って山に遊びに行く風習、また長野では川のほとりに蓆を敷いて五目飯などを頂きながら1日遊ぶという風習があり、子供たちは楽しんでいたといいます。

中国・四国では3月のお節句を新暦で行い、ひな祭りの祝い膳を用意し、島根の方では平もちとヨモギの菱餅を作るのがしきたりです。
鳥取の益田では桜の花が開くちょうどいい季節にあたるので、お雛様の節句として桜の花見を行うところも多いといいます。

九州や沖縄では、磯遊びのことを「せっくいそ」と呼び、鹿児島の方では「浜でばい」といい楽しんできたようです。
4月になると海、山に出かけて暖かくなってきた季節を祝います。
沖縄歯3月3日が本来、海水の禊を行うという意味があったとされ、今も平安座島で盛大に行われているのです。

(五節句の参照記事)
五節句っていつなの?五節句とは?意味や由来をご紹介! | Today’s Trend News

お年玉を贈る範囲と相場はどのくらいが適切?

お年玉

子供の頃は楽しみ・・でも大人になると大変です

お正月になると親戚の方々や知り合いの方々にお年玉を頂き、子供としてはクリスマスから引き続き、うれしい行事となるわけですが、お正月は大人にとって正月用品をそろえたり、新しい年に向けて準備するものもあり、お年玉は頭の痛い行事です。
お年玉というのはもともと今のように現金をあげるものではなかったといいます。

お年玉はお正月、神様にお供えした丸餅を一家の長が使用人や家族、家に出入りしてくれている職人さんたちに一緒に頂こうと分けたものだったのです。
それが現在は現金をあげる風習となり、親から子、祖父母から子へ・・・というお正月常時となっています。

どのくらいの範囲の方にどのくらいの額をあげたらいい?

お年玉もお子さんが小さい頃ならそれほど迷いませんし子供ならそう迷うこともなく、家の規則というか、両親が考えた額でいいのです。
大人が迷うのは、親類、自分よりも下の年齢の人間にあげるとき、どうしたらいいのか迷います。

他人の場合、お世話をしている人のお子さんにおくるくらいで、先輩、上司等目上の方のお子さんにおくるのは通常マナー違反です。
金額については多すぎてもよくありませんし、少なすぎても「ケチ」という印象を受け付けることになるので、そのお子さんの年齢にあった金額・・・となります。

例えば小学生などでお小遣いをもらっている子なら、お小遣い1ヵ月程度で十分です。
小さいお子さんにはお金をあげても喜ぶということはないと思いますので、お菓子や絵本、おもちゃなどをあげる方がいいと思います。
ポチ袋を準備し、裸で現金をあげることがないように、これもマナーの一つです。

お年玉をもらうお子さんの親は、お年玉の意味を子供にしっかり伝える事、働いた大切なお金から頂けることなどを伝えることが重要だと思います。
使ってしまえばすぐになくなる、どのように利用するのがいいのか、お金の使い方について計画性を持たせることや自主性を持たせることに利用すべきです。